大平巖前村長がご逝去

3月28日、長年天龍村長として、天龍村発展のためにご尽力いただいてきました大平巖さんがお亡くなりになられました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

大平さんは、昭和54年10月から12年間、天龍村教育長を務められ、この間、飯伊市町村教育委員会連絡協議会教育部会長や長野県町村教育長会会長を歴任されてこられました。
学校教育では「子どもの健康づくり」を大切に考え、温暖な気候を利用しての水泳競技の強化を学校とともに図り、「水泳天龍」の礎を築き上げられました。社会教育では、スポーツ振興に力を入れ「天龍梅花駅伝」をスタートさせました。また、霜月神楽を始めとした重要無形文化財の伝承にも積極的にかかわってきました。
その後、平成16年10月に天龍村長に当選され、以来3期12年の長きにわたり村政のかじ取りを担ってきました。
就任当時、三位一体改革や市町村合併など、村を取り巻く環境が様々変化する中で、今後、様々な重要施策を取り組むにあたっては、最優先に村の財政を立て直し、足場を固める必要があると提唱し、大規模事業の抑制や行財政改革の徹底等緊縮財政にまい進されました。その結果、実質公債費比率を県下2番目の低さまで縮小したり、起債残高を就任当初から半分以下に縮減したりするなど、村の財政再建が図られたところであります。
また、「子供を愛し、年寄りを敬う」を政治モットーとして、各種の補助金を創設しながら、少子高齢化対策にも積極的に取り組まれてきました。
一方で、「岳仙」の雅号で書家としてもご活躍され、小・中学校や老人ホームでの書写指導を始め、村内外での書道教室も開かれていました。村内外に多くの書が残っています。

個人的には、大平村長のもとで6年間副村長として仕事をさせていただき、多くの事を学ばせていただきました。
特に「人間として、仁・義・礼・智・信の五常の精神を忘れることなく、また政治家の心構えとして先憂後楽を意識すべし」との教えは、私の胸に深く刻み込まれております。
インフルエンザや新型コロナウイルスの話題が落ち着いたら病院にお見舞いに行かせてもらい、まだまだ多くのこと教えていただいたり、村の行く末をご指南していただきたいと思っていただけに、非常に残念です。

本当にお疲れ様でございました。


(写真は、役場村長室のもの)

3月の行事など

今月は、新型コロナウイルス感染症対策のため、各種の行事・イベントが延期、縮小等されました。1日も早い収束を願います。

3月5日、令和2年第1回天龍村議会定例会が開会しました。村からは条例案件8件、令和2年度予算案件6件、令和元年度補正予算案件5件、人事案件1件、その他案件2件を上程しました。そのうち、固定資産評価審査委員に中井侍区宮澤盛孝さんを選任することを同意いただきました。

3月16日、町村会・広域連合会議・長土連下伊那支部協議会総会が飯田市で行われましたので出席しました。コロナ対策で短時間で終了となりました。

3月17日、天龍小学校、天龍中学校の卒業式が行われました。詳細につきましては別掲をご覧ください。

3月18日、元村議会議長の故金田今朝文さんへ位記(正六位)が授与されましたので、ご家族に伝達させていただきました。

3月19日、令和2年第1回天龍村議会定例会が閉会しました。上程しました案件は全て原案どおり可決いただきました。

3月23日、令和元年度防災行政無線デジタル化整備工事の工場検査に東京都小平市へ行ってきました。今年度は2か年事業の初年度にあたりますが、予定どおり機器等が仕上がっており、順調に進捗しておりました。

3月24日、戦没者慰霊祭が行われましたので出席しました。コロナの影響もあり、例年に比べ参加者も少なかったわけですが、平和への願いはいつの時もかわりません。

同日、地域おこし協力隊と集落支援員による1年間の活動報告会がありました。残念ながら、コロナの影響により無観客で行うことになりましたので、様子につきましては後日村のケーブルテレビ等で報告させていただきます。

3月25日、中部電力カーリング部からサイン入りハンガーと色紙が届きました。詳細は別掲してあります。

同日、昨年7月からスタートした「産業振興に係る調査研究プロジェクトの中間報告会」を行いました。「農産物継承」「森林資源活用」「観光ブランディング」の3つのプロジェクトについて、それぞれこれまでの活動報告や今後の計画等を発表いただきました。総体的にはどのチームもわかりやすくまとめてあり、よい報告会だったと思います。会の中で出された意見等を参考にしながら1年後の最終報告会に向けさらに調査研究を進めていただきたいと思います。

3月26日、国選択無形民俗文化財に指定されております「大河内シカオイ行事」が行われました。
少子高齢化の中、伝統行事を守り続けていくことは大変ですが、地域の皆さんで協力し合って毎年同じように行っています。機会がありましたら皆さんも是非ご覧ください。
大河内シカオイ行事
(http://www.vill-tenryu.jp/tourism/festival_heritage/festival/sikaoigyouji/)

中部電力カーリング部から

3月25日、新型コロナウイルスの影響により、東京オリンピック・パラリンピックの延期が決定した翌日でもありましたが、中部電力(株)平岡水力発電所の保谷所長が役場にお見えになり、中部電力カーリング部の皆さんから預かったサイン入りの色紙とハンガーを届けて下さいました。当初、選手の皆さんへ直接お渡しする予定でおりましたが、コロナの影響でこのような形となりました。選手の皆さんは大変喜んでくださったとのお話をお聞きしました。ハンガーを使っていただき、天龍村からも応援団がいることを思ってくださればありがたいと思いますし、それぞれの目標に向かって頑張ってもらいたいと思います。
今回このような機会を設けて下さった中部電力(株)の皆さんに心から感謝申し上げます。

新型コロナウイルス感染症対策に関して

3月24日、天龍村新型コロナウイルス感染症対策本部会議を開催し、新型コロナウイルス感染症に係る村主催のイベント・行事の開催についての当面の判断基準について、国や県の基準等に沿って以下の通り決定しましたので、ご理解ご協力をお願いいたします。

天龍小・中学校の卒業式

3月17日、春の暖かな日差しがふりそそぐ中、天龍小学校と天龍中学校の卒業式が行われました。新型コロナウイルスの影響により、例年より時間や参加者を縮小しての卒業式となりましたが、全国的にはもっと縮小等をしている学校がある中で、一生に一度の卒業式となる卒業生の最高の思い出にしてあげたいとの学校先生方の心温まるご配慮から、いろんな検討を重ねていただいた結果、天龍村らしい大変素晴らしい卒業式を挙行いただくことができました。本当にありがたいことだと思っております。

卒業生の皆さんは、新たな生活が始まりますので、どうか自分の夢や目標に向かって全力で取り組んでいただきたいと思います。
ご卒業おめでとうございます。

新型コロナウイルス感染症対策に係るお願い

本日(3/13)、天龍村新型コロナウイルス感染症対策本部会議を開催し、村主催のイベント・行事の開催について国や県からの方針等に沿い当面の判断基準を以下の通り見直しました。ご理解ご協力をお願い申し上げます。

現在、天龍村では新型コロナウイルス感染症について、国や県の示す方針に倣い、「集団感染を防止すること」、「重症化しやすい方を守ること」を最重点事項として掲げ、可能な限りの対応をとることとしています。また、「換気が悪く、人が密に集まって過ごすような空間に集団で集まること」は、感染リスクが高いので避けていただくよう村民の皆様に呼び掛けています。
一方、新型コロナウイルス感染症に係る状況は日々変化する可能性があること、また、過度な自粛は経済活動に悪影響を及ぼすことなどを考慮することも必要です。
以上を踏まえ、当面、3月24日までに開催の必要性等について判断を行う村主催のイベント・行事については、以下のとおり対応するものとします。
なお、3月19日頃を目途に示すとされている政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議による判断等を踏まえて、改めてこの基準の見直しを検討します。

1 不特定多数の方、重症化しやすい方(ご高齢の方、基礎疾患がある方等)が多く参加する行事・イベントについては、原則、延期または中止とすること。

2 すべてのイベント・行事について、開催の必要性等を改めて検討すること。
その際、来場者の規模や対象者、参加者の密着度や時間、参加者の範囲(特定、不特定)、感染防止対策の徹底の難易度(飲食を伴うか否かなど)を考慮すること。

3 開催する場合にあっては、風通しの悪い空間をなるべく作らないなど、イベントの実施方法を工夫すること。
 また、風邪症状がある方の参加自粛を呼びかけるとともに、手洗いの励行、消毒液の設置等を行い、来場者に対する必要な感染防止策を呼びかけること。

※村が主催する会議等についても、上記に準じて対応することとする。
 また、村内で行われる村主催以外のイベント・行事についても極力上記の基準に沿うよう主催者の配慮を要請します。

天龍村診療所川西先生のご勇退について

昨日(3月5日)、令和2年第1回天龍村議会定例会が開会され、村長あいさつの中でもお話しさせていただきましたが、平成元年(1989年)2月から今日まで31年余にわたって、天龍村診療所長としてお務めいただいた川西政幸先生が、諸事情により本年3月31日をもってご勇退されることになりました。

川西先生は、福島県郡山市のご出身で、弘前大学医学部を卒業後、福島県立医科大学付属病院やガーナ大学医学部への医療専門家派遣などを歴任され、当時、李明知先生が退任された後、無医村であった天龍村に平成元年2月1日に着任されました。そして、先生は31年余にわたり、天龍村診療所の医師として、夜間や休日、季節を問わず24時間体制で村民の命を守っていただくとともに、小・中学校の学校医、保育所の検診医をお務めいただきながら子供たちの健やかな発育状況を見守っていただきました。また、養護老人ホームの嘱託医や国保運営協議会等の委員として、さらには、下伊那南部保険医療協議会の理事として、まさに八面六臂のご活躍で天龍村の医療のほかに介護・保健・福祉の各分野においても多大なご尽力をいただいてまいりました。

3年前、私が村長就任のご挨拶にお伺いした時にも「先生も年だから、いつまでやれるかわかならいぞ」と福島弁なまりの先生独特の口調で言われたこともございましたが、医師の確保が困難な状況の中で、せめて私が村長職を担っている間は辞めないでほしいとお願いした記憶がございます。
そのような中、昨年7月、先生が着任当初から連載してくださっている天龍村公民館報の「シリーズ診療室(122)」の記事の最後に「長い間紙面をお借りしてきました「診療室」は、今回を持ちまして終了致します。有り難うございました。」と書かれており、村民の多くが「えっ」と思ったと思います。私も同じで、真意をお聞きしなければと思っておりましたが、お聞きすること自体が怖かったので、なかなか聞けずにおりました。その後、昨年12月上旬、毎年定期的に行っております先生との懇談会の折り、先生が「31年前、天龍村に赴任した時、家内と平岡駅から見た街並みはとても賑やかだったなぁ。だけど、今は寂しくなってしまったなぁ。」と、しみじみおっしゃったことがございました。今思えば、あの時には既に引退についてご決断されていたのだろうなあと思っております。

私が職員時代、移住定住関係の仕事をした時、都市部に出向き移住等を希望される皆さんと面談をすることがよくありました。移住希望者にとりましては、住むところ、働くところが一番気になるところでありまして、加えて、家族で移住を考えている皆さんにはさらに、学校や医療に関しても気にされる方が多く、よく質問をされました。その時には「村には学校も診療所もあり心配ありません。特に、私たちも実際住んでいて医療面で不安になったことはありません。」と胸を張って説明したのを昨日のように覚えています。自信をもって村への移住を勧めることができたのも川西先生の存在があったからであります。
また、個人的には、私の子供は先生が着任された平成元年2月生まれで、陣痛がくる直前に「顔色が悪いぞ。そろそろ生まれるよ」と言われ、先生のおっしゃる通りその日に誕生しましたので、さすがだと感心したことがありました。そんなことがあったことも関係してか、その後先生と街角で出会うと「子供は大きくなったか?」「いくつになった?」などとよく聞かれました。もしかしたら、子供の成長と先生の天龍村での歩みとをダブらせていたのかもしれません。

また、以前、先生とお話した時、赴任当初は慣れない土地での生活に大変ご苦労されたことやつまらない陰口に心を痛めたこともあったとのお話をお聞きしたことがありました。しかし、それらに屈することなく、へき地医療に命を懸け、天龍村村民のために尽力された31年余は、先生にとりまして医師人生の半分以上を捧げたかけがえのない時間であったと思います。それが短かったのか長かったのか、あるいは良かったのか悪かったのかはわかりませんが、少なくとも私たちにとりましては、私たちの健康を見守り、時には命を救っていただくなど、いくら感謝しても感謝しきれないほどのご恩をいただいた大変貴重な歳月でございました。この度の先生のご勇退、いつかこの時が来るとは思っておりましたが、いざとなるとやはり残念でなりません。しかしながら、先生にも人生がございます。4月からはどうかゆっくりお休みいただいて、時には天龍村の事を思い出しながら奥様とともに楽しい時間をお過ごしいただきたいと思います。
改めて、村を代表して心より感謝申し上げますとともに、今後益々のご健勝とご多幸をご祈念申し上げます。
本当にありがとうございました。

2月後半の出来事など

2月16日、株式会社飯田ケーブルテレビ様から高価なテレビを村に対しご寄贈いただきましたので、その贈呈式を行いました。当日は、原社長様を始め関係者の皆様にご臨席をいただき盛大に行っていただいたわけですが、村としましても、今後、次世代の5GやIOTといった高速・大容量に対応する設備や有事に備えた情報収集や情報伝達のための情報インフラ整備も進めていかなければならないと考えておりましたので、今回の寄贈に対しましては大変ありがたく思っております。設置場所は、村民の皆さんの憩いの場として、また村外からお見えになった皆さんが行きかう交流の場として活用している龍泉閣に設置しましたので、より効果が上がるものと考えておりますし、また有効かつ大切に活用させていただきたいと思います。

2月17日、天龍村福祉有償運送運営協議会並びに天龍村地域公共交通会議を開催しました。両会議とも道路運送法の規定により認められている自家用有償旅客運送の有効登録期間が満了するため、更新手続きに必要な意見聴取を行ったものです。併せて、昨年実施したアンケート調査による要望事項につきましてもご協議いただきました。特に異論なく更新することにご賛同いただきました。

2月18日、長野県町村会定期総会が長野市で行われましたので出席しました。総会の中で川上村長として8期32年間、長野県町村会長として14年間、全国町村会長として8年間お務めになった藤原村長の勇退のご挨拶がありました。本当にお疲れさまでした。また、大久保根羽村長、下平豊丘村長ほかに対し自治功労者表彰が送られました。おめでとうございます。

同日、下伊那南部地区主要地方道飯田富山佐久間線整備促進期成同盟会と飯田市竜東4地区の代表の皆さんと合同で、長野県建設部長に対し要望運動をさせていただきました。2027年のリニア中央新幹線開通までに、下伊那南部地域から長野県駅までの重要なアクセス道路である主要地方道飯田富山佐久間線の整備を促進していただくようお願いしてまいりました。

2月19日、飯伊森林組合の地区総代会がありましたので出席しました。今年度の収支見込みが過去最悪の赤字になるとの報告がなされましたが、総代からは叱咤や叱責というより激励の意見が多く出されておりました。

2月20日、長野県茶振興協議会総会が飯田市南信濃で行われましたので出席しました。事業報告や決算報告に引き続き来年度の事業計画等も原案どおり承認されました。なお、役員改選も行われ、引き続き会長を仰せつかることになりました。

2月21日、保育所卒園記念の写真撮影がありましたので出席しました。その後、旧満島ホテルの解体工事にあたり、取りこぼし清め祓いと安全祈願祭が行われましたので出席しました。交通量の多い場所なので、安全に工事が完了することを祈念します。

同日、天竜川上流河川事務所の伊藤所長ほか関係者の皆様が来庁され、直轄地すべり事業に関しての調整会議を行いました。天竜川上流河川事務所からは今年度事業等の説明と住民説明を丁寧にしながら安全に工事を進めていきたいとの話がなされ、私からは、各地区から毎年出されております地区要望のうち、直轄地すべり事業として対応できるものにつきましては積極的に取り組んでいただいきたい旨等をお願いしました。

2月22日、中学生が企画した「手づくりハンガープロジェクト」で、目標であった2020本目のハンガーが完成しました。これえもひとえに、これまでの中学生の努力はもちろん、地域の皆様のご協力があってからこそだと思っております。改めてご協力いただきました全ての皆様に心より感謝申し上げます。

同日、宮下一郎衆議院議員の内閣府副大臣ご就任と宮島喜文参議院議員の財務大臣政務官ご再任を祝う会が飯田市で行われましたので出席しました。当地域の発展のために一層のお力添えをお願いします。

2月23日、集落支援員の主催による「えごま講習会」が行われました。また、24日には満月屋にて「移住特区」が行われました。

2月25日、下伊那南部地区教育懇談会が行われましたので出席しました。阿南高校の現状と課題について上原校長からお話があり、「10年後を見据えた阿南高校へ」と題し、今後の少子化・存続に向けて「阿南高校らしさ」「阿南高校ならでは」という視点に立った学校にさらに変革しなければならないと説明されました。その後、各町村の学校教育の現状と課題についても発表がありました。

2月26日、南信州広域連合議会が飯田市で行われましたので出席しました。
同日、天龍村警察官駐在所連絡協議会が開催されましたので出席しました。長野県や阿南署管内での治安情勢や天龍村内での治安情勢等について説明があり、令和2年における交通安全や見守り等の取り組みについて意見交換がおこなわれました。

2月27日、新型コロナウイルス感染対策本部会議を立ち上げ、現状の把握と当面の対策を決定しました。(別掲)
同日、買物弱者に関する拠点施設についての中間答申がなされました。委員の皆様には、これまで何回も会議を重ねご協議いただきましたことに感謝申し上げます。中間答申ということではありますが、早速対応できるものにつきましては、これを基に実施してまいります。

2月28日、下伊那南部総合事務組合定例議会がありましたので出席しました。訪問介護ステーション「さくら」の運営が令和2年4月から県立病院機構に移管されることとなりました。