7代目市川團十郎記念碑建立除幕式が行われる

5月19日、梅雨入り間近で生憎の天候の中、「天龍村の歴史を学ぶ会」の皆様が主催し、7代目市川團十郎の狂歌が刻まれた句碑の除幕式が行われました。
7代目市川團十郎は、歌舞伎で最もポピュラーな演目「勧進帳」に「歌舞伎十八番」というキャッチコピーをつけたことで、歌舞伎を全国に広めた人物と言われております。その7代目市川團十郎が、天保12年(1841年)に飯田市川路で興行しており、10日間晴天に恵まれ6千人余の観客を動員したと言われています。この時のことは白猿(團十郎のこと)が書いたとされる旅日記「遊行やまざる」にも記されており、これによりますと、川路興行の後、天竜川を舟で下って秋葉山に参詣する予定で、川田(阿南町)から乗船し、鶯巣(天龍村)の松下弾右衛門(現在の鶯巣さん宅)の屋敷に一泊し、翌日中部まで舟下りしたとのことであります。このことは「天龍村史」にも掲載されています。
また、鶯巣松下家に一泊した際「をしかけて是悲と鶯巣を仮り枕 ふとゝぎすでも来て来にゃならぬ」という狂歌を詠んでおり、今回建立された碑にはこの句が刻まれています。
こうした一連の史実がこれまであまり取り上げられておらず、知らない村民の皆さんもいたと思われますが、今回の「天龍村の歴史を学ぶ会」の皆様方のご尽力により句碑が建立され、村の眠っていた宝がようやく日の目を見たということであります。
村としましては、今後、天龍村の歴史文化のシンボルとして機会あるごとご紹介させていただきたいと思いますし、ふるさと教育の一環として次代を担う子供たちへもしっかり伝えてまいりたいと考えます。さらには観光面でも活用させていただければありがたいと思います。
多くの皆様に是非ご覧いただきたいと思います。